眼光出版の論考で使っている語を、書いた本人の定義で並べる。 物理や既存の書名から借りた語は、元の意味との違いも書いている。
有限性を知りながら、それでも張る人。
目の前のものがいつか無価値になると分かっている。それでも「今この瞬間に全力で賭ける」ことに意味を見出す。消えゆくものへの挑戦を恐れない。むしろ、消えるからこそ燃える。本質は時間との勝負を自ら選ぶ意志にある。天才は時間と戦う者。
一般に言う「能力が高い人」の意味ではない。時間との向き合い方を指す。
対になる語: 仙人
不変を見抜き、そこに留まる人。
流れゆくものに惑わされず、変わらないものの中に身を置く。世の中が何周しようと揺るがない地盤の上に立っている。本質は時間に支配されない視座を持つことにある。仙人は時間を超える者。
対になる語: 天才
あらゆるスキルの習得に要する時間。AIはこれを圧縮する装置である。
習得にかかる時間が短くなるほど、そのスキルを持っていること自体の価値は下がる。AI が時定数を圧縮し続ける世界では、何を学ぶかより、圧縮されない側に何が残るかが問題になる。
電気回路や制御工学でいう時定数(応答の速さを表す定数)とは別の用法。
動き続けるコストはAIがゼロにした。動き始める意思=静止摩擦だけが人間に残る。
エンジニアは「他者の摩擦を引き受ける存在」だった。AI が動摩擦をゼロにする世界で、間に立つ仕事は逆に「摩擦」へと反転する。動き始めるための静止摩擦、つまり意思だけは人間にしか作れない。
物理学の動摩擦力・静止摩擦力そのものの話ではなく、そこから借りた比喩。
「凡人」という言葉が、構造的暴力を個人の姿勢の問題にすり替えてしまう危険性。
「受動的に見える」ことと「受動的である」ことは違う。明日の家賃を払うために今日を生きている人に「時間と能動的に向き合え」とは言えない。選ばないのではなく、選ぶ余地がない場合がある。加えて、天才が走り仙人が座る足場を作っているのは、毎日同じ仕事を淡々と続ける人間たちだ。凡人を一括りにすることは、自分が立っている地面を軽視することに等しい。
「言う=やる」が同値になった世界で、発散し続ける多動が最大の資源になること。
AI エージェントが実行を引き受けることで、資本を持たない個人でも思いついたことをそのまま形にできるようになった。発想が枯れないことのほうが、一つのことをやり抜くことより価値を持つ。
堀江貴文『多動力』(2017) を AI エージェント時代に読み替えたもの。