AGI前にする、人生最後の努力
/内藤 剛汰
「自分でやった」と言えるものを、あと一つだけ作りたい。努力が意味を持った最後の世代として。
2026年3月
シンギュラリティは、もう来ている
識者たちはまだ「シンギュラリティはいつ来るか」を議論している。2027年だ、2030年だ、2040年だ、と。
でも、毎日テック業界の動きを追っている人間なら、肌で感じているはずだ。もう来ている。
全ての会社のリリース速度が、明らかに一段階上がった。OpenAIはGPT-5.4を出した。Anthropicは毎月のようにモデルを更新する。Googleは週単位で新機能を投入する。スタートアップは3人で、かつての30人分のプロダクトを出荷している。
イーロン・マスクは3月9日、Xにこう書いた——「We are in the Singularity」。サム・アルトマンはこれを「緩やかなシンギュラリティ」と呼んだ。みんな薄々気づいている。
シンギュラリティは、ある日突然やってくる大爆発ではなかった。毎週のリリースノートの中に、少しずつ忍び込んできた。気づいたら、もう渦中にいた。
陳腐化していくもの
この加速の中で、静かに価値を失い始めているものがある。
プログラミングを「自力で」書くこと。 去年まではCopilotに補完してもらいながら書いていた。今年はClaudeに設計から実装まで任せて、自分はレビューしている。来年は何をしているんだろう。コードを一行も読まずにプロダクトを出している気がする。「俺はゼロからこれを書いた」と言える最後の世代に、ギリギリ間に合っている感覚がある。
調べて、理解して、まとめること。 本を読み、論文を漁り、自分の言葉で再構築する——その知的営みが、AIへの一言のプロンプトに置き換わりつつある。このドキュメントを書くためにシンギュラリティについて調べたが、正直、Web検索もX APIも全部AIに叩かせた。自分の手で情報を集めた感触がほとんどない。それでいて、出来上がったものは悪くない。それが怖い。
語学を習得すること。 何百時間もかけて異国の言葉を覚える苦行。その過程で文化を体感し、思考回路が変わる体験。あれは、リアルタイム翻訳が完璧になった瞬間に「やらなくてもいいこと」になる。やらなくてもいいことを、人はやらなくなる。
知識量でマウントを取ること。 あらゆる専門知識がAPIの向こう側にある。「それ知ってる」の価値が消滅する。ていうかもう消滅してる。
「頑張って作った」が価値になること。 手間をかけたこと自体が評価される時代が終わりつつある。100時間かけた資料と、AIで30分で作った資料の品質が逆転する瞬間を、もう何度も目撃している。
それでもやりたいこと
陳腐化するとわかっていても、やりたいことがある。
自分の手でコードを書いて、何かを動かしたい。 バグに苦しみ、StackOverflowを彷徨い、動いた瞬間に叫ぶ、あの体験。AIに全部任せれば速いのはわかっている。でも、自分で書いたコードが動く感動は、もうすぐ「手紙を手書きする」くらいの趣味的行為になる。なら今のうちに、もう一回だけ、ゼロから自分で書きたい。
時間をかけて何かを習得したい。 効率度外視で、下手くそな状態から少しずつ上手くなっていく、あの感覚。ギターでも料理でも数学でもいい。プロセスに意味があった最後の時代に、プロセスを味わいたい。
自分の頭だけで考えて、間違えたい。 AIに壁打ちする前に、自分の雑な直感だけで仮説を立てて、盛大に外したい。間違える自由。非効率である贅沢。それが許されるのは、もう長くない。
「わからない」を楽しみたい。 調べればすぐ答えが出る世界で、あえて答えを見ずに悩む時間。本を途中まで読んで、自分なりの解釈を組み立てて、最後まで読んで全然違って笑う、あれ。
最後の世代として
僕らはおそらく、**「努力が意味を持った最後の世代」**だ。
努力が陳腐化するとは、努力が無駄になるという意味じゃない。努力しなくても同じ結果が手に入るようになる、という意味だ。
100m走のタイムを縮める努力は、車が発明されても無駄にはならなかった。でも、「速く移動するための努力」としては完全に陳腐化した。走ることは趣味になり、スポーツになった。生存手段ではなくなった。
同じことが、知的労働のあらゆる領域で起きようとしている。
プログラミングは趣味になる。翻訳は趣味になる。文章を書くことも、分析することも、戦略を立てることも、趣味になるかもしれない。生存手段ではなく、やりたい人がやる嗜好品になる。
それは悲しいことなのか? わからない。でも、生存手段として知的労働をやれる最後のチャンスが今だということは、たぶん間違いない。
だから今、全力でやる
効率の良さで言えば、もうAIに任せたほうがいい。わかっている。
でも「自分でやった」と言えるものを、あと一つだけ作りたい。自分の手で、自分の頭で、自分の時間を使って。
それが最後の努力になるかもしれない。ならないかもしれない。
でも、陳腐化する前にやっておきたい。
手書きの手紙に価値が出たのは、誰も手紙を書かなくなってからだ。だったら今、まだ全員が手書きしている間に、最高の一通を書いておきたい。
この記事もそのうちの一つだ
この文章を、AIに書かせることもできた。実際、途中まで手伝ってもらっている。でも、構成を考えて、言葉を選んで、自分の実感を込める作業は、自分でやりたかった。
この記事自体が、陳腐化する前にやっておきたいことの一つだ。
最近、意識的にやったことがある。
おばあちゃんと丸一日、時間をとって話した。AIに仕事が奪われ始めてやばいという、謎に焦っている孫の現状を伝えた。おばあちゃんは多分よくわかっていなかったけど、ずっと聞いてくれた。
家族四人で食卓を囲んだ。全員のスケジュールを合わせるだけで一苦労だった。でも、合わせた。
蕎麦屋でバイトしてみた。蕎麦を茹でて、器に盛って、客に出す。ホワイトカラーの仕事が奪われた未来を想像してみた。意外と悪くなかった。
友達とアメリカに旅行に行った。乾燥してて、めちゃ晴れてて、よかった。
どれも、効率とは無縁のことばかりだ。生産性ゼロ。アウトプットなし。KPIに換算したら全て無駄。
でも、人間が人間であるうちにできることを、やっていきたい。
シンギュラリティの渦中にいるからこそ、そう思う。
シンギュラリティは待ってくれない。でも、急ぐ必要もない。なぜなら、もう始まっているのだから。