眼光出版

今のうちに絶望しておこう、AGIピル

/内藤 剛汰

承認欲求のアウトプットは終わる。カミュのシーシュポスが教える、成果ゼロでも過程を引き受ける幸福。

Minecraftで絶望した人たちへ

先日、こんなポストがXで流れてきた。

「現実世界をそのまま Minecraft のマップに変換できるAIツールが完全無料のオープンソースで登場」

紹介されていたのは Arnis というツール。OpenStreetMapの地図データをRustで処理して、自分の地元や自宅をMinecraftのブロックで再現できるというものだ(ちなみにコミュニティノートで訂正されていたが、これはAIですらない。単なるアルゴリズムによるデータ変換だ)。

このポストに対して、マイクラ建築勢が絶望していた。何時間もかけて手作業で再現していた建築が、ツールひとつで一瞬にして生成される。その気持ちはよくわかる。

でも僕はこう思った。今のうちに絶望できるのは、むしろ良いことだ。


僕たちはもう「AGIピル」を飲んでいる

シリコンバレーに「AGIピル(AGI-pill)」というスラングがある。映画『マトリックス』の赤いピルになぞらえて、「あと数年でAGI(汎用人工知能)が実現し、世界が劇的に変わる」という未来観を本気で受け入れることを、「AGIピルを飲む」と言う。

これは一部のテック思想家だけの話ではなくなっている。OpenAIのサム・アルトマンは「数年以内に自分自身より賢いAIが開発される」と語り、Anthropicのダリオ・アモデイは「2026〜27年までにほぼすべての人間より賢いAIが開発される可能性が高い」と予測している。Leopold Aschenbrennerの「Situational Awareness」は、2027年末にAGI到達、その後2〜3年で超知能へ至るタイムラインを描いた。

つまり、Minecraftの建築がアルゴリズムで代替されて絶望する——なんてものは、まだ序章にすぎない。AGIが来れば、プログラミングも、文章も、音楽も、映像も、人間のアウトプットのほぼすべてが代替可能になっていく。

だからこそ、今のうちに絶望しておいた方がいい。


承認欲求のアウトプットは終わる

僕が本当に言いたかったのは、こういうことだ。

趣味でやっていたつもりでも、その中には「他者に見られたい何か」が混ざっている。達成感以外の承認欲求、一緒に遊ぶための準備、「すごい」と言ってもらいたい気持ち。それらは、もう世界に必要とされなくなっていく。

心を動かす、感動させるということですら、人間の仕事ではなくなるかもしれない。AIが生成したものと人間が作ったものの区別がつかなくなったとき、「誰が作ったか」という情報自体が価値を失う。SNSに投稿するもの、ポートフォリオに載せるもの、評価されるために作るもの——その土俵でAGIと競争しても勝ち目はない。

これは落合陽一が「2026年にはほとんどの知的作業がAIに置き換わる」と言っているのと同じ話で、実際にフリーライター、Web制作者、イラストレーターといったクリエイティブ職がいち早く影響を受けている。

厳しい現実だけど、あとから急に突きつけられるよりも、今のうちに向き合っておいた方がいい。 早めの絶望は、ある種のワクチンだ。

1942年に、この問いの答えを書いた男がいる。アルベール・カミュ。フランスの哲学者。彼が描いたのは、ギリシア神話のシーシュポスだ。

シーシュポスは神々を欺いた罰として、永遠の刑罰を受ける。巨大な岩を山頂まで転がし上げる。頂上に達した瞬間、岩は自重で麓まで転がり落ちる。シーシュポスはまた山を下り、また押し始める。永遠に。成果は永遠にゼロだ。普通に考えれば、これは絶望の極みだろう。努力は絶対に実を結ばない。

でもカミュは、この神話の最後の一文をこう結んだ。

「シーシュポスは幸福であると想像しなければならない」

なぜ幸福なのか。カミュが注目したのは、岩が落ちてくるたびにシーシュポスが山を下りるあの瞬間だ。次の労働が始まると知っている。成果は出ない。それでも、一歩ずつ足を運ぶ。あの時間の中に、シーシュポスの意識がある。自由がある。結果が無意味であることを直視しながら、それでも過程を引き受ける——カミュはその態度そのものを、不条理な世界に対する人間の反抗であり、尊厳だと言った。

AGIの世界は、シーシュポスの世界だ。何を作っても、AIがもっとうまくやる。アウトプットの成果はゼロに近づいていく。でもカミュが80年以上前に、AIとはまったく無関係の文脈で語っていたことは、そのまま僕たちへの回答になっている。成果がゼロでも、過程を引き受けること自体に幸福がある。

絶望の先に幸福がある。それは新しい発見じゃない。人間はずっと前から知っていた。


じゃあ、何が残るのか

ここからが本題だ。自分が本当に感動できるものを探すのが、今だと思う。

AGIピルの議論は、たいていマクロな話になる。国家安全保障、米中AI冷戦、経済成長率、人類存亡のリスク。たしかにそれも重要だ。Aschenbrennerが描く最悪シナリオでは、安全対策不十分なままAGI開発が進み壊滅的な結末を迎える。逆に楽観的なシナリオでは、不老技術、エネルギー問題の解決、科学的発見の10倍速化が待っている。

でも、AGIピルを飲んだ「個人」がどう生きるかという問いは、あまり語られない。

僕が言いたいのはシンプルだ。人のために仕事をしている人は、本当に自分が感動するものを見つけた方がいい。 本当の意味で「自分のために何をするか」を考えられる時代が来たんだから、前向きに捉えよう。

仕事のためにコードを書くんじゃなくて、書くこと自体が楽しいから書く

「いいね」のために絵を描くんじゃなくて、描く過程そのものに没入する

評価されるために曲を作るんじゃなくて、自分の耳が喜ぶ音を探す

この区別に、2400年前のアリストテレスが名前をつけている。アリストテレスは人間の行為を二つに分けた。

キーネーシス(運動)。家を建てる。試験に受かる。ダイエットで目標体重に達する。これらには終わりがある。目的を達成した瞬間、行為は完了し、用済みになる。家が建ったら、もう建てる必要はない。

エネルゲイア(活動)。見ること。考えること。幸福であること。これらには終わりがない。「見ている」と同時に「すでに見てしまっている」。ゴールに到達して終わるんじゃなくて、やっている最中にすでに完了している。音楽を聴いている瞬間、最後の一音を待っているわけじゃない。聴いているその瞬間が、すでに体験の全体だ。

この補助線を引くと、AGI時代に何が奪われて何が残るのかがクリアに見える。承認欲求のアウトプットはキーネーシスだ。「いいね」に到達したら消費される。ポートフォリオに載せたら役目を終える。評価されるために作ったものは、評価された瞬間に意味を失う。AGIは、このキーネーシス的な行為を——もっと速く、もっとうまく——片っ端から代替していく。

一方、過程そのものに感動する体験はエネルゲイアだ。コードを書いている最中の没入。証明の筋道が見えた瞬間の震え。絵筆を動かしているときの静けさ。これらは「結果」じゃなくて「体験」そのものだから、AIが同じ結果を出せたとしても、体験は奪えない。

AGIに代替されるのはキーネーシスだ。エネルゲイアは、原理的に奪えない。


プログラミングの楽しさを奪われた僕が、数学に向かった理由

実は僕自身、プログラミングの楽しさをAIに奪われている。AIがコードを書くようになって、「自分で考えて、試行錯誤して、動いた瞬間の喜び」が薄れた。あの楽しさはもう戻ってこない。

その代わりに僕が向かったのは数学だった。数学は、誰かに見せるためにやるものじゃない。定理を証明する過程、美しい構造に出会ったときの感動——それは完全に内的な体験だ。たとえAIが数学の問題を解けるようになっても、僕が感動する体験そのものは奪われない。

AGIピルを飲んだ人間が取るべき行動は、「AIに勝てる分野」を探すことじゃない。AIの有無に関係なく、自分が感動できるものを見つけることだ。


前を向くために

1. まず、絶望する

自分のアウトプットがAIに代替可能だという事実を受け入れる。否定でも敗北でもない。現実認識だ。

2. 「誰のために?」を問い直す

自分がやっていることは、本当に自分のためか?承認欲求が動機なら、それはAGIとの果てしない競争に巻き込まれる道だ。

3. 内的報酬で完結する「何か」を見つける

それは数学でも、登山でも、料理でも、プログラミングそのものでもいい。大事なのは、「結果」じゃなくて「過程」に感動できるかどうか。

ただし、ここで一つ厳しいことを言っておく。「内的報酬で完結するものを見つけろ」——言うのは簡単だ。でも、見つかるのか?

哲学者の國分功一郎が『暇と退屈の倫理学』で指摘したのは、人間は暇になったからといって自動的に楽しめるわけではない、という残酷な事実だ。考えてみてほしい。僕たちはあらゆる行為を「目的のための手段」として捉える癖がついている。英語を学ぶのはキャリアのため。運動するのは健康のため。読書するのは知識のため。すべてが「何かのために」に回収される。行為そのものを純粋に味わう——國分の言葉で言えば「享受する」——ことを、僕たちはいつの間にか忘れてしまった。

國分は最新作『手段からの解放』で、こう述べている。

「楽しむというのは学ばないとできないことなんです」

重い言葉だ。AGIに仕事を奪われて暇になったら、人生を楽しめるようになるか? ならない。「目的のための手段」という思考回路が染みついた人間は、目的を失った瞬間に退屈に呑まれる。暇と退屈は違う。暇は時間の問題だ。退屈は心の問題だ。

楽しむためには、自分が何に感動するのかを知らなければならない。それは自分で学び、探し、試行錯誤して育てるものだ。AGIが仕事を代替してくれる時代は、同時に「楽しむ力」を持つ人間と持たない人間の差が残酷なまでに可視化される時代でもある。

だからこそ、今のうちに始めた方がいい。


おわりに

AGIピルを飲むと、最初に来るのは恐怖かもしれない。虚無かもしれない。

でもその先に、もう一つの風景が見える。「他者のためのアウトプット」という呪縛から解放された世界。

人のために仕事をしなくてよくなったとき、あなたは何をするだろうか。

その答えを探すことが、AGIの時代を生きる僕たちに与えられた、最も贅沢な課題だと思う。


参考

「AGIピル」あと2年で激変するAIの進化と人類の興亡 — INODS UNVEIL

あなたは「AGIピル(AGI-pill)」を飲んだか? — Yahoo!ニュース(鈴木崇弘)

Situational Awareness — Leopold Aschenbrenner

Arnis — Generate Real World Locations in Minecraft

落合陽一「2026年にはほとんどの知的作業がAIに置き換わる」— エンジニアtype

カミュ『シーシュポスの神話』解説 — necojara.com

アリストテレスのエネルゲイア — kotento.com

「楽しむ」とはどういうことか? 國分功一郎『手段からの解放』試し読み — 考える人(新潮社)